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合格~~! [カウンセリング]

少し前の更新で、日本カウンセリング普及協会の認定心理カウンセラー2級の試験を受けた事をお話ししましたが、昨日合格通知が届いていました。

こんな感じ

pict-Image079.jpg

わ~い!

まぁ、以前もお話ししたように私にとってはベストの傾聴ができたので、あまり合否にはこだわっていなかったのですが、いざ合格通知が届くと、それなりに嬉しいもんです。

特に大学の卒業時期の見込みが立っていない状態ですので、何か卒業したとか合格したとかいう出来事があると、それだけで慰められるわけです(笑)。


しかし気になるのが、合格通知上での私の苗字の間違い。

漢字が一文字違うんですよね。

まぁ、私の名前があまり一般的ではないのも要因なのですが、これはなんとかならないものか。
訂正の意味も込めて、ちゃんとした漢字で手続きをしているのですが、それでも向こうは間違えるんですよね。

もしかして意地になっているのかな?

あるいは、もしかして別人だったりして(笑)。



ところで、皆さんは、呼び名がちょくちょく変わるという経験をされたことはありますか?

これは、大昔に中国語(北京語)を勉強していた時のこと

みんなで飲もうという話になり居酒屋を予約したのですが、その予約での私の漢字が、完全に当て字になっていたんですよね。

その北京語のクラスではお互いの名前を北京語読みで呼び合う習慣があったのですが、それ以来、私の呼び名が私の苗字の北京語訳ではなく、その居酒屋での当て字の北京語訳に変わってしまいました。

以前から私は、こうしてちょくちょくとこうして呼び名が変わる経験をしています。

教会では洗礼名(ヨハネ)で呼ばれ、バンドでは名前で呼ばれ、中国語の学校では中国読みで、苗字はたいてい間違って書かれて、名前は間違った読みで呼ばれる・・・。

いいんですけどね。慣れているから。
気にしてないし。

では!
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不幸であり続ける意味 [カウンセリング]

前回の更新でもお伝えしたように、私の仕事に付随するカウンセリング的な業務から、カウンセラーとしての気づきや意見を書いていきたいと考えています。

その前提として、このカテゴリーを読む読者はカウンセラーあるいはカウンセリング心理学を多少なりとも勉強していると捉えています。

そこでお願いがあるのですが、ここで書かれている内容を、正解だとか正しい方法だとか考えないでくださいね。

私の意図は、こうした内容を叩き台として、皆さんそれぞれのカウンセラーとしての気づきや成長に結びつけてもらうことですから。

「まだ2級試験の合否も分からないのに、えらそうな!」という意見もおありかと思いますが、まぁ、あくまでも私見ですし、それに業務に付随したカウンセリングの経験は8年ほどあるという事で、どうか大目に見てくださいませ(笑)。



少し前の話。

「仕事がうまくいかない」という問題で私のところに、あるクライエントが来ました。

年齢は40代。女性で美術関連の仕事をずっと続けていたのですが、どうしても、ある目標が達成できないという事でした。

そこで、私たちは発生しうるリスクや達成するべきタスクを整理し、ひとまず大まかな方針の決定を行いました。

ただ、「どうすればいいか」は明確な指針が生まれたのですが、そのクライエントが指針通りの行動をこなせるように思えませんでした。

理由は、明らかにリソースの不足。
目標達成のための基盤となる思考力や精神的な安定、柔軟性が完全に失われている状態でした。

そこで、私がそのことを指摘すると、クライエントはある告白をしました。

「実は、うつ病なんです。そして、統合失調症の可能性もあります」

「・・・なるほど。それは正式な診断として、なんですか?」

「はい。お医者さんから言われました」

「では、現在その治療は?」

「全くしていません」

「・・・全くしていないんですね。何かご事情でも?」

「・・・・・・」

何か深い事情がある様子でした。


私の仕事の目的はカウンセリングではありませんし、クライエントが私に自身の抱えている問題の解決を求めないのであれば、強いて私の方から求める理由もありません。
そこで、その回はひとまず終了。タスクを確認して簡単な励ましとともに、クライエントを送り出しました。

しかしその後、予想通りクライエントは全く達成されていないタスクを手に、私のもとを訪れたのです。
その際、以下のような趣旨の会話が交わされました。

「実は、この結果はある程度予想していました」

「そうなんですか?」

「えぇ。前回、私がお話しした内容を覚えていますか?ご自身の健康問題について」

「えぇ」

「それが障害を形成しているというお話もしましたよね?」

「はい」

「それが足かせとなって、ご自身の行動を束縛していると思いませんか?」

「思います」

「その自覚はあるのに、でも病院で治療をしようとはなさっていない。・・・お話しいただけませんか?」

「治ったら・・・私じゃなくなるんです」


う~ん、なるほど。そう来たか!



「私が変わったら、何かを失ってしまう」

先のクライエントのケースは確かに極端な例ですが、しかし、似たような事柄は日々私たちも経験しています。
交友関係や仕事なので、「どうして私がそこまでしなくてはならないの?」と日常で思う場面が、まさにそれに当てはまります。

しかし、これが大きくなってさらに信念体系にまで根ざしていしまうと、解きほぐすのは非常に困難となります。

わかりやすい例をあげると、共依存関係などが典型例でしょう。
仮にここにヒモの男性と、それを養う女性がいるとします。
女性側は、自分が援助することによって、仕事をしようとしない相手の問題を拡大させてしまう事は頭では分かっている。そして、そうした関係の中にある自分自身は不幸だという自覚はある。

しかし、その自分を不幸から抜け出そうとするのであれば、相手を失ってしまう。

この場合、「不幸な自分」と「相手」の存在はトレードオフの関係になります。
そうなると「失いたくない」という恐怖が根本的な問題から足を遠のかせてしまうのです。


私は医者ではありませんので、統合失調症もうつ病も治せません。

ただ、クライエントが私にゆだねてきた課題を達成するためには、どうしても専門医師による治療をしてもらう必要があります。

しかし、こうした場合に説得が功を奏する訳がない。
なぜなら、そのクライエントは「変わらない」ことで、大切な何かを守っているから。

共依存やアダルトチルドレンの解決には、本人の自覚がどうしても必要になります。
これは、その自覚がないと自分を変えるというモチベーションが働かず、その結果解決のための技法が全く用いられないからです。

このクライエントは発達段階では1段階と判断できます。
この場合、ある程度積極技法を用いて・・・という話になります。
ただ、無理に積極技法を用いても、こうしたケースではクライエントの思考が上手に働かないので、あまり効果的ではありません。
積極技法は、相手にある程度のリソースがあってこそ意味がある技法なのです。

そこで、まずこのままでは問題があるのではないかという気付きを促すために、辛抱強く傾聴を行っていきました。
聞く内容は、生活全般の事柄を中心に、そこにある感情や感覚、特に不都合な面や感情的にネガティブになりやすい面となります。

そこを中心に傾聴をすることで、クライエントは自分の置かれている状態を客観化できるようになっていきました。そして、その状態になった頃を見計らって、論理的帰結や対決技法を用いる、という方法をとりました。

その結果、そのクライエントは無事に治療を再開してくれたのですが、この事例で印象に残ったのは、先述したようにある利得あるいは損失によって、「ある状態にい続ける」動機が生まれるという事と、自己を客観化できないがゆえに、どう考えても不幸な習慣を、何の疑問もなく続けてしまうという怖さです。

どれほど才能やチャンスに恵まれていても、人間的あるいは習慣的な問題によって、それが活かされないばかりか逆の方向に行ってしまうというケースは多々あります。
その時、私たちの脳裏の片隅には「〇〇するべきでは?」という疑問が立ち上ることがあります。しかし、その疑問の声は私たちの「こうありたい!」というある種の頑迷さによってかき消されます。

私は、真の柔軟性とは何かを、そしてそれを阻むものは何かを考えます。

柔軟性を選ばなければならないとき、私たちは失う事と、自分の尊厳が損なわれることを恐れます。
その時、私たちは自分に対して「大丈夫。何も失わないよ」「変えたからと言って、君が間違っていたことを意味しないんだよ」と言えるでしょうか?

私には、それが非常に難しく思えます。ゆえに私たちはそばにいてくれる誰か――恋人や家族、またはカウンセラー――を、心から必要とするのではないかと思うのです。

カウンセラーの受容とは、クライエントの変容の際に必ず生じる恐怖や惨めさに対して、安全な場所を提供し、その中でクライエントが変わるという経験の最もミニマムな「予行演習」を安心して行えるよう、手助けをすることではないかと考えます。

そこでは傷つくこともなく、自分の尊厳を失い事もなく、当然何かを失う事もなく、思う存分検討を繰り返すことができる。その繰り返しによってクライエントは変容し、柔軟性を回復し、そして再び「外」へ出ていくのではないかと思うのです。

不幸であり続けることにも意味があります。
それは、確かに私たちを苦しめはするのでしょうが、しかしそうでもしないと守れない「何か」が必ずあるのです。
そして、それを守るために私たちは不幸を抱えたまま孤独になっていきます。


その何かを失うことなく、不幸を手放す最良の方法は、孤独からの解放であり、関係性での癒しなのでしょう。


ではでは、今日はこの辺で。
タグ:心理学
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傾聴と積極技法 [カウンセリング]

このブログは、私の日々の生活を何も考えずに書き連ねるという類のものですが、ちょっとは役立つ内容にしたいよね…と考えることもちらほら

そこでNLPやらTA講座を作っちゃおうと考えているのですが、なかなか時間がないねぇ~。

とか言っていると何も先へ進まないので、新しい企画。

私の仕事は限りなくカウンセリングに近くなることがあります。
そして、そうした仕事をかれこれ8年も続けています。

8年も効した仕事をしていて、かつカウンセリング心理学を勉強していると、様々な発見(と、それ以上の数え切れない失敗)があります。

そこで、そうしたカウンセリングの現場での発見や知識をお話ししていきたいと思います。

ただ、私は正式(?)なカウンセラーではありませんので(実際、肩書きは違うしね)、一般のカウンセラーとは全く違う事をしている場面も多々あります。
恐らく、カウンセラーとしてきちんと教育を受けた方からすれば、ツッコミどころ満載でしょう。

確かに、批判や反論は多々あると思います。
しかし、そうした批判や反論も含めて、これをご覧になっている方と「カウンセリングとは何ぞや?」を考えられたらなと思います。

という事で、第一回目は来談者中心療法と積極技法について



来談者中心療法の傾聴をトレーニングとして行っている場合、だいたい時間は10~15分程度の傾聴をやって、3分間の振り返りを行います。

その振り返りの際にクライエントの主訴と今後の見立てを行なうのですが、その際に「ラポールが築けたら積極技法を用いて…」という話をよく聞きます(実際、私もそう言う事も)。

ただ、実際のカウンセリングの現場では、傾聴技法と積極技法の間に、そう大きな壁があるわけではなく、むしろ傾聴と積極技法を行き来する事も多くあります。

ここで、一例として逐語録をご紹介します。
内容はクライエントのプライバシーに配慮して一部変更がしてあります。



クライエントは40代のシングルマザー。
離婚後、仕事をこなしながら子育てに励む生活をしている。
最近、ある男性と恋愛関係になったが、子供たちが彼に父親を求めることが多くなった。しかし、相手の男性は父親としての自覚が十分ではなく、その結果クライエントは彼との関係を終わりにした。
この記録はカウンセリング開始後10分程度のもの


CL:…子供たちの前でも、結構無神経な発言をするんです。「ママとは結婚しないよ」とか。それを言ったら、子供も傷つくじゃないですか。彼に父親を期待しているのに。なのに、彼は家族全員で彼の実家に遊びに行こうと言うんです。結婚する気もないのに!で、つい彼に厳しく言っちゃったんです。「自覚がないんだったら、もう来ないで」って。

CO:なるほど。彼はお子さんたちに対して無神経な発言をするのに、その一方で実家に誘ったりしたんですね。そして、お子さんたちは、それで傷ついてしまう。ゆえに「もう来ないで」と仰ったんですね(要約)。
「もう来ないで」と言った時の、ご自身のお気持ちは(ドアオープナー)

CL:う~ん、子供を守るためだから、しょうがないかなと。…ただ、もうダメですよね。彼との関係は、これで切れてしまいますよね?

CO:ご自身のお考えとしてはどうですか?(ドアオープナー)

CL:切れてしまうと思いますよ。

CO:切れてしまうと思われるんですね。確かに、そうした発言をしてしまうと、一般的には関係は損なわれるリスクが高まりますよね。

CL:あの時、私の中で「このままでよくない」という思いがあったんです。子供たちが彼のようになるのは避けたいし、子供が傷つくのは見たくないし。彼だって、「父親」になることから解放された訳ですから、きっとホッとしているはずです。
私は、ずっとみんなが納得できる方法はないかと考えていたんです。だんだんと彼と私との関係が接近してきて、子供たちは彼に父親を求め始める。中途半端な関係で子供が傷つくのであれば、切ってしまった方がいいと思いました。

(このあと、CLは5分ほど彼を切った理由について話し続けた)

CO:ご自身の彼との関係を終わりにした理由はよくわかりました。ご自身にとって、お子さんを守ることを優先するならば、彼との関係を切った方がいいと判断された訳なんですよね。

CL:えぇ。

CO:お話をお伺いしていると、彼との関係を終わりにしたことについて、ご自身なりに十分納得されているように思えます(この辺から積極技法。これは『自己開示』)。

CL:えぇ。しょうがないことですから。納得していますし、正しかったと思います。

CO:なるほど、納得もしているし、正しいとも思っている。
……お話をお伺いしていて、ふと感じたことがあります(以下、フィードバック)。
ご自身は、なぜ私に対して、終わったはずの出来事をこのようにお話しになるのでしょうか?
納得しているはずのご自身の行動のその動機を、私にお話しする事が疑問に感じます。

CL:………!
終わっていないんですね!

CO:えぇ、そのように聞こえます。
いま、振り返ってみて何か思う事や感じることはありますか?

CL:…私は、彼に望みをつないでいます。もう一度、関係をやり直したいと思っています。


結局、このカウンセリングはこのあと、80分近く行われました。

「自己開示」と「フィードバック」は積極技法の一つで、前者はクライエントにカウンセラーの感じ方や考えを伝えるもので、後者はカウンセラーや第三者がクライエントをどう見ているかという資料を提供するものです。

来談者中心療法の場合、カウンセラーはクライエントの心の鏡になる事によってクライエントの自己洞察の手助けをするものなのですが、それに対して積極技法は、直接クライエントに影響を与える事を目的としています。

私自身の場合、クライエントとのラポールも確かに重要ですが、実際に積極技法を使う場合、あまりラポールは考えません。
それよりもクライエントの状態の方により気を使います。分かりやすい言い方をすると、ある種の「タイミング」と言えばいいでしょうか。

先の例では、相手の男性と別れた事を「納得している」と言いつつ、クライエントはその理由を延々と私に話し続けました。そしてさらに、こうして関係が終わったことについて、彼も「ホッとしていると思う」という憶測を述べています。
この辺は、まるで自分に離別を選んだ事の正しさを言い聞かせえているように思えたのです。

そこで、別れた動機やそのときの感情を、とにかく話してもらいました。
そして、その時の感情や考えを、クライエント自身がよく吟味できるように促したのです。
その間、私は積極技法を使うタイミングをずっと見計らっています。

そして、クライエントの思いがピークに達したと判断された時、フィードバックを投げかけたのです。

結果はビンゴ。
クライエントは自分がまだ彼に望みを繋いでいることの気づきに突き当たりました。

この後、「先生、本当にありがとう!それを聞いてすっきりしました!」と何度も言われたのですが、それほどにクライエント(のみならず、問題の渦中にいる私たちにとって)自分の思考のループは根強いものがあります。

そうしたクライエントに対して、タイミングさえ誤らなければ積極技法は一気にクライエントのパラダイムを変えるきっかけを与えます。

裏を返せば、判断を誤るとクライエントの自然な気づきという、私たちが最も重視しなくてはならない成果を失ってしまう可能性もあるのです。

相手の状態を冷静に判断する。
そうした意味でも、積極技法を使う前提として、来談者中心療法は非常に重要だと思います。


(おぉ、初めて意味のあるブログを書いた気がする!!!)
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切り替えがね・・・ [カウンセリング]

先日、私にとっていつものおなじみの場所で傾聴トレをやってきました。

その場所と言うのは、私がよく会議や私的な考え事をするために引きこもる所でしてね。
料金は安いけど、窓口の対応が少々イライラする。
まぁ、それでも親しくお喋りをしたりもするのだけど(笑)。

そして、その傾聴ですが、2ヶ月ぶりの傾聴だった割には、上手くできたなと考えています。
その2ヶ月前の傾聴トレが私にとってワーストだったので、ホッとしたというのが正直なところ。
また、その勉強会には2級合格者も参加していたので、貴重なフィードバックも頂戴できました。

ほんとにありがとね。皆さん。

傾聴トレにはスクールで教えてもらう前に参加しており、「マイクロカウンセリング」を行く途中の電車の中でざっと読んで、いきなり本番と言う状態でした。その当時からそれなりに出来てはいたので、後は感情に上手く寄り添うための技法をどう使うかが課題なのですが、実はこの辺で伸び悩んでいます。

ドアオープナーのかけ方も大体分かるのですが、どうしても私の焦点の当て方が出来事レベルに行ってしまう。
これは私が仕事上、そうした事柄ばかりを扱っているからなのでしょうけど、その切り替えが難しい。

そして、もう一つの要因として、クライエントの「悩んでいる」「悲しい」という感情が、どんな状況で生まれているかを知りたいと言うこともあります。もちろん、その状況とクライエントの感情を比べて私が裁いたりするわけではありませんが、そのあたりを理解する事によってクライエントの世界が理解しやすくなるという面もあるのです。

これは私的な見解ですが、10分や15分の傾聴の場合、確かに感情のみに焦点を当てるのは効果的でしょう。
しかし、これが実際の50分コマのカウンセリングの場合、ある程度出来事も把握したくなるのでは…?これは私がカウンセリングを受けた経験としても、だけど。

ただ、最近思うのは、私が心理学を通してやりたいのはカウンセリングではなく、セラピーなのだろうな、と言う事。もちろん、その前提としてカウンセリングや傾聴が重要なのは論を待たないけど。

話は前後するけど、昨日の午前中、同じ場所である先生の教育分析を受けていました。
その後、私がゲシュタルト療法に絡む質問をした時、ちょうど彼女もゲシュタルトの本を読んでいたばかりだったんですね。
あの療法のもつ独特の「厳しさ」はともかく、短期的にある一定の効果を出せるのは、大変素晴らしい。一度、ワークに参加してみたいなぁ、とも思うけど、何だか怖そうな(笑)。

ところでね、昨日の勉強会参加者の方で大阪の傾聴トレに行かれた方が、産業心理士の方の傾聴を目の前で見たとの事。
その際に産業心理士の場合は、クライエントの言葉を「置き換える」のだという事を言われていたと思います。

それを聞いたときに、ふと思い出したのが、この本。

産業心理士の「言い換え」は積極技法に含まれないものだけど、これは相当に積極的なアプローチ。

傾聴をベースにしながら、クライエントの過去や現在の可能性や肯定的な側面に光を当てつつ「あなたはそのままでもよく、そして変われもするのですよ」と促すもの。
つまり、我々がスクールで学んだ積極技法を、もう少し発展させたものと考えてもらえればよいと思います。

まぁ、これを実際にやろうと思えば、相当の時間とラポールが必要なのは事実ですが。
しかし、効果的ではあると思います。

そして、その対極(?)に位置するのが、この本

精神対話士の書かれた本ですが、内容はまんま傾聴。
この人の文章って少々嫌味な感があり、決して好きにはなれないのですが、しかし傾聴をやる上で参考になると思います。

さて…今日はシフト上深夜の仕事。
そして明日はお休みで、明後日から変則的な業務シフトに。
その間に業務改善計画書を書いて、顧問税理士さんを早く見つけて、半ば絶望的になっている確定申告もやって…

ではでは


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