心療内科、再び
前回の更新で鬱になり心療内科を受診した事をお伝えしましたが、今日、再度別の病院へ行ってきました。
直接の理由は薬との相性が変わってしまったので、その調整が必要になった事。
神経疾患の薬って相性があるのと、その相性がときに変わってしまうんですよね。
私がもらった薬も、最初は本当に良かったのですが、やがて副作用ばかりが目立つようになってしまって…。
ただ、これは予想されていた事なので。
本当は以前と同じ病院にいけば解決する話なのですが、前の病院の問診が素人目に見てもどうかと思う内容だったので、妻に連れられて別の病院へ。
待つ事1時間半で順番が来て、先生と対面。
そこで色々と問診をされたのですが、その内容は非常に的確で、まずは一安心。
その後、対処法やら薬の説明やらの話になったのですが、その中で次のような会話がありました。
「そのような症状が出る原因は色々とあると思うんです。
以前なら、精神分析といってフロイトのように原因を探ってアプローチをするという事をやっていたのですが、今はしません。そんなことをやっていると、キリがないから。
だから、症状が出たら、原因はともかく、そのスイッチを切ってしまう。そうしたお薬を出しますので」
いやぁ~~~、小気味良い!!!
私がカウンセリング心理学を学んでいる事を伏せていたから出た発言なのでしょうが、実に精神科医らしくて、実によろしい。
実際のところ、日ごろから大学や学校で心理学を勉強したり、あるいは仕事で認知行動療法を使ったりする中で感じるのは、目の前の現象を扱う上で、いくら人の心の奥に手を伸ばしても、それが無意味な場面も多々あるということです。
例えばね、人間関係で上手く行かない人が居るとしますよね。
で、その人は機能不全家族に育てられたアダルト・チルドレンだったとしましょう(ちなみに、私は『アダルトチルドレン』の概念は大嫌い)。
で、その結果社会に出ても上手く行きません、と。
この場合、来談者中心療法ならどうします?
傾聴ですよね?
そして、お決まりの台詞が出てくる
「答えはクライエントが持っている」
…そんなバカな(笑)。
こういった状況下で機能不全家族の中で育った事をいくら傾聴しても、クライエントは変われないし、仮に変われても目の前の問題は変わりません。
原因なんて、どうでもいい事なんて沢山あるんです。
原因はどうでもいいから、どうやれば結果が変わるのか。
それが問われる場面も山のようにある。
正直に言うと、精神分析を好む方々を見ると思わず首を傾げたくなるのはこの辺にあります。
潜在意識を掘り返すことに、一体どれほどの意味があるのだろう?
そんなキリのない作業を延々と繰り返しても意味がなかろうに。
いくらトラウマを弄繰り回しても、ホントの自分なんて出てこないよ。
しかし、当然の事ながら異論もあるわけです。
少し前のこと。
妻とリビングで上のような議論を吹っかけた事があります。
ひとしきり上記の論調で「精神分析に意味なんてあるのか?トラウマなんてアホくさい議論はばっさりと切っちゃって、行動のみに焦点を当てればシンプルでよいのではないか?」とかいう感じの事を言ったのですが、妻の立場は「いやいや、とはいえ精神分析にも意味はあるよ」と。
妻の回答を要約すると、こんな感じになります。
薬で対応できるものは対応した方がいいのはよく分かるし、精神疾患の人が持つ服薬に対するアレルギー反応はおかしいと思う。
でも、やっぱり聞いてもらえてすっきりする面も否定できないし、何よりも前向きになれる要素を心の中に持っていないと、何をやっても前へ進めないし、変われないんだよ。
……なるほどね。来談者中心療法の方々がよく言う「答えはクライエントが…」という意味ではなく、自己肯定や自尊心などの「種」を作る必要があると言う事なんだよね。
妻曰く、私が薬を飲んで変われたのは、それは元々持っている要素が薬によって浮かび上がったからだと。ゆえに、心の中にそうした要素を持っていないと、結局は何を飲んでも変われないのではないか?と。
なかなか着目点としては面白い。
ならば、やはり私の関心はロジャースの範疇から大きく出てしまう訳か。
もっと動的になるだろうなぁ。
まぁ、それはともかく。
話を病院へ移しましょう。
今回の私の診断はパニック障害でした。
前回の診断が鬱病だったのに、と思うのですが、まぁそんなもの。
しかし、診断としては妥当だと思います。
仮に鬱であっても内因性のはずなのでは、という疑問から考えると、脳機能障害の側面の強い(と言われている)パニック障害という診断は納得がいきます。
さて、無事に診断も下り、後の私の関心は相性の良い薬がもらえるか否か。
実際、連続して発生するパニック発作と、薬との相性の悪さゆえに、ここ最近の私は完全に活動が停止してしまっているのですから。
別に私は自分の潜在意識に興味はないし、パニック障害になった原因にも興味はない。
相性の良い薬さえあれば良いのです!!
さて、結果は如何に?
直接の理由は薬との相性が変わってしまったので、その調整が必要になった事。
神経疾患の薬って相性があるのと、その相性がときに変わってしまうんですよね。
私がもらった薬も、最初は本当に良かったのですが、やがて副作用ばかりが目立つようになってしまって…。
ただ、これは予想されていた事なので。
本当は以前と同じ病院にいけば解決する話なのですが、前の病院の問診が素人目に見てもどうかと思う内容だったので、妻に連れられて別の病院へ。
待つ事1時間半で順番が来て、先生と対面。
そこで色々と問診をされたのですが、その内容は非常に的確で、まずは一安心。
その後、対処法やら薬の説明やらの話になったのですが、その中で次のような会話がありました。
「そのような症状が出る原因は色々とあると思うんです。
以前なら、精神分析といってフロイトのように原因を探ってアプローチをするという事をやっていたのですが、今はしません。そんなことをやっていると、キリがないから。
だから、症状が出たら、原因はともかく、そのスイッチを切ってしまう。そうしたお薬を出しますので」
いやぁ~~~、小気味良い!!!
私がカウンセリング心理学を学んでいる事を伏せていたから出た発言なのでしょうが、実に精神科医らしくて、実によろしい。
実際のところ、日ごろから大学や学校で心理学を勉強したり、あるいは仕事で認知行動療法を使ったりする中で感じるのは、目の前の現象を扱う上で、いくら人の心の奥に手を伸ばしても、それが無意味な場面も多々あるということです。
例えばね、人間関係で上手く行かない人が居るとしますよね。
で、その人は機能不全家族に育てられたアダルト・チルドレンだったとしましょう(ちなみに、私は『アダルトチルドレン』の概念は大嫌い)。
で、その結果社会に出ても上手く行きません、と。
この場合、来談者中心療法ならどうします?
傾聴ですよね?
そして、お決まりの台詞が出てくる
「答えはクライエントが持っている」
…そんなバカな(笑)。
こういった状況下で機能不全家族の中で育った事をいくら傾聴しても、クライエントは変われないし、仮に変われても目の前の問題は変わりません。
原因なんて、どうでもいい事なんて沢山あるんです。
原因はどうでもいいから、どうやれば結果が変わるのか。
それが問われる場面も山のようにある。
正直に言うと、精神分析を好む方々を見ると思わず首を傾げたくなるのはこの辺にあります。
潜在意識を掘り返すことに、一体どれほどの意味があるのだろう?
そんなキリのない作業を延々と繰り返しても意味がなかろうに。
いくらトラウマを弄繰り回しても、ホントの自分なんて出てこないよ。
しかし、当然の事ながら異論もあるわけです。
少し前のこと。
妻とリビングで上のような議論を吹っかけた事があります。
ひとしきり上記の論調で「精神分析に意味なんてあるのか?トラウマなんてアホくさい議論はばっさりと切っちゃって、行動のみに焦点を当てればシンプルでよいのではないか?」とかいう感じの事を言ったのですが、妻の立場は「いやいや、とはいえ精神分析にも意味はあるよ」と。
妻の回答を要約すると、こんな感じになります。
薬で対応できるものは対応した方がいいのはよく分かるし、精神疾患の人が持つ服薬に対するアレルギー反応はおかしいと思う。
でも、やっぱり聞いてもらえてすっきりする面も否定できないし、何よりも前向きになれる要素を心の中に持っていないと、何をやっても前へ進めないし、変われないんだよ。
……なるほどね。来談者中心療法の方々がよく言う「答えはクライエントが…」という意味ではなく、自己肯定や自尊心などの「種」を作る必要があると言う事なんだよね。
妻曰く、私が薬を飲んで変われたのは、それは元々持っている要素が薬によって浮かび上がったからだと。ゆえに、心の中にそうした要素を持っていないと、結局は何を飲んでも変われないのではないか?と。
なかなか着目点としては面白い。
ならば、やはり私の関心はロジャースの範疇から大きく出てしまう訳か。
もっと動的になるだろうなぁ。
まぁ、それはともかく。
話を病院へ移しましょう。
今回の私の診断はパニック障害でした。
前回の診断が鬱病だったのに、と思うのですが、まぁそんなもの。
しかし、診断としては妥当だと思います。
仮に鬱であっても内因性のはずなのでは、という疑問から考えると、脳機能障害の側面の強い(と言われている)パニック障害という診断は納得がいきます。
さて、無事に診断も下り、後の私の関心は相性の良い薬がもらえるか否か。
実際、連続して発生するパニック発作と、薬との相性の悪さゆえに、ここ最近の私は完全に活動が停止してしまっているのですから。
別に私は自分の潜在意識に興味はないし、パニック障害になった原因にも興味はない。
相性の良い薬さえあれば良いのです!!
さて、結果は如何に?
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